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オニツカタイガー/ Onitsuka Tiger(アシックス)ーブランド図鑑 vol. 01

戦後日本を代表するスポーツシューズブランド「オニツカタイガー(アシックス)」。その技術力の高さから、オリンピック日本代表のシューズとなり、オリンピックメダル獲得に貢献するだけでなく、そのレトロな魅力は国内外のファッショニスタをも魅了し、国内のショップには現在でも多くの外国人観光客が押し寄せるスポットとなっている。今回は、そんな「オニツカタイガー」のなりたち、ブランドについてご紹介する。

戦後日本を代表するスポーツシューズブランド「オニツカタイガー(アシックス)」。その技術力の高さから、オリンピック日本代表のシューズとなり、オリンピックメダル獲得に貢献するだけでなく、そのレトロな魅力は国内外のファッショニスタをも魅了し、国内のショップには現在でも多くの外国人観光客が押し寄せるスポットとなっている。今回は、そんな「オニツカタイガー」のなりたち、ブランドについてご紹介する。

目次

ブランドのなりたち

オニツカタイガー(アシックス)は、1949年3月に兵庫県の靴の卸問屋「鬼塚商会」として誕生した。創業者は鬼塚喜八郎。戦後の神戸で非行に走る少年、売春婦になる少女、そんな光景を見た鬼塚は、「なんのために戦友たちが死んでいったのか」と強い憤りを感じ、これからの新しい日本のために自分のできることを必死で考えた。そして友人のアドバイスを受け、自分の一生を「日本の青少年の育成」に捧げることを決意。スポーツを通した健全な身体の育成、ひいては健全なる精神を育むため、当時裸足でスポーツをしていた青少年のためにスポーツシューズを作り、スポーツを通じて立派な人間になることを手助けすることを決意する。

オニツカタイガーについて

「オニツカタイガー(Onitsuka Tiger)」はアシックスが展開するスポーツファッションブランド。1949年、鬼塚喜八郎が、オニツカタイガーの前身である鬼塚商会を創業し、同年9月に鬼塚株式会社に組織変更。1977年、自社の不足部分を補うため、スポーツウェア・用具メーカー、ニットウェアメーカーと合併し、社名を現在の「アシックス」に変更。スポーツ用品総合メーカーとなり、1970年代には海外展開をスタートした。

戦後日本を代表するスポーツシューズブランドとなったオニツカタイガーは、バスケットシューズの展開からスタートし、その後マラソンシューズをはじめ多くのスポーツシューズやウェアなどを展開するようになる。現在ではオリンピック日本代表のシューズを手がけており、オニツカタイガーを履いた選手によるオリンピックメダル獲得ラッシュも影響し、世界に認められるシューズブランドとして確固たる地位を築いた。
ナイキ(NIKE)の創立者フィル・ナイトがオニツカタイガーの製品に感銘を受け、輸入販売を行ったエピソードが、その技術力の高さを物語っている。

1976年のモントリオール・オリンピックで金メダルを獲得したフィンランド代表の陸上競技長距離選手であるラッセ・ビレン選手が、脱いだシューズに感謝するかのように両手に掲げてウイニングランを行った模様が世界各国で報じられ、大きなPR効果をもたらした。彼が履いていたシューズはオニツカタイガーの「ランスパーク」(Runspark)で、5,000mでの優勝後、ミリ単位でソールの微調整を依頼し10,000mでも金メダルを獲得した。

2002年(平成14年)、アシックスの誕生と同時にワンブランド制が導入され、封印されていたオニツカタイガーブランドが当時のトレンドだったレトロブームの過熱とファンの要望により復刻され再ブレイク。2003年公開の映画「キル・ビル」では主演のユマ・サーマンが劇中で着用しており、大きな話題を呼んだ。現在でも海外市場において重要なスポーツファッション分野を牽引している。

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出典:https//www.instagram.com

1982年に開発されたランニングシューズがデザインベース。レトロな雰囲気の中にもモダンなディテールが光る一足

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