ブランドのなりたち
創業は20世紀初頭に遡る。靴工房を運営した父の薦めで、アドルフとルドルフの2人のダスラー兄弟は、ドイツ、ヘルツォーゲンアウラッハ地域の慣例に従って、靴工房で靴職人の見習いを始める。水車小屋からフェルトクズを得て、そこからゴムチューブなどでスリッパを作り、各地の市場に販売されたという。
1920年、ダスラー兄弟商会設立。1924年、靴紐の変わりにゴムの付いた革底を使用した体育館シューズを開発。1925年、地元の体育協会が大量に靴を注文したことでブランドは軌道にのる。世界恐慌の煽りを受けながらも、ベルリンオリンピックの効果で再度ブランドは盛況となる。戦争を機に一時生産をストップするが、戦後、まもなく生産を再開。
しかし1948年兄弟喧嘩を機にアドルフ、ルドルフの兄弟は独立を決意。アドルフはアディダス、ルドルフはルーダを設立。ルーダは1949年、プーマへとブランド名を変える。
65年、テニスシューズ「ハイレット(後のスタンスミス)」を発表し、これが人気となる。 70年、オールレザーのバスケットシューズ、「スーパースター」発表。サッカーのFIFAやオリンピックのIOCなど国際的スポーツ組織を巻き込んで、スポーツをビジネス化した。
アディダス(ADIDAS)について
アディダス(adidas)はドイツのスポーツブランド。スポーツ用品からシューズ、スポーツウェア、ファッションアイテムなど幅広いジャンルで製造から販売まで手掛けている。アディダスの由来はアドルフの愛称「アディ」と「ダスラー」をつなげたもの。
世界中で人気を誇るアディダスは、今やスニーカーの代名詞的存在だ。1920年当時、まだ「運動用の靴」という概念がなく、多くの人がスポーツ向きではない靴を履いてサッカーや陸上を行っていた。そんな環境を変えたのは、1900年にドイツ中南部の街に靴職人の子どもとして生まれたアドルフ・ダスラー。20歳になっととき、兄ルドルフとともに「ダスラー兄弟商会」を設立し、陸上競技をしていた自身の経験からスポーツ専用の靴の開発をスタートする。彼らのシューズを履いたアスリートたちが次々と好成績を残したのをきっかけに、瞬く間に大ヒットを記録した。
1948年に兄と決別し、アドルフは自身の名前を苗字をもじったブランド、「アディダス」を設立。今もブランドのアイコンとなっている、3本ラインが誕生したのもこのときだ。そんなドイツのいちブランドが国際的な注目を集めたのが、スポーツの祭典、オリンピック。ヘルシンキオリンピック五輪では、西ドイツの出場選手、全員がアディダスのシューズを履いて登場し話題に。同じく西ドイツが出場したワールドカップ・ミュンヘン大会でも、全選手がアディダスをチョイス。アスリートからの支持が多く、名選手。ベッケンバウアーが愛用していたことでも有名だ。
スポーツ界を席巻した「アディダス」だが、アスリート以外にも愛用された理由がそのデザイン。一目で「アディダス」と分かる、多くのアイコニックなラインを持っている。特に注目すべきは、「スタンスミス」と「スーパースター」だろう。
「スタンスミス」はシリーズ名となったテニスプレーヤー、スタン・スミスが愛用したことでも知られている。1965年の発売当初は「ハイカット」という名のモデルだったこのスニーカーは、世界で一番売れたスニーカーとしてギネスにも載っているほど大人気に。革製のテニスシューズでも通気性がよく、以後ベルクロ使用やカラー展開など、さまざまな形でアップデートされている。
1970年に発表された「スーパースター」は、バスケットシューズとして開発。シェルトゥと呼ばれる、貝のようなつま先のデザインと三本線のライン、そしてブランドロゴでもある月桂樹のマークが一足に詰め込まれている。当時はキャンパス素材のスニーカーが主流だったため、オールレザーの履き心地はスポーツ選手たちはもちろん、ストリートでも大流行した。
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出典:https://shop.adidas.jp/