ブランドのなりたち
ナイキ(NIKE)は、1972年にフィル・ナイトがNIKEを設立。フィル・ナイトは、オレゴン大学の陸上部で活躍し、スタンフォード大学経営大学院在学中にビジネスプランの論文「日本の運動靴は、日本のカメラがドイツのカメラにしたことをドイツの運動靴に対しても成し遂げ得るか」を書き、その正しさを検証するため、卒業後に出向いた神戸でオニツカタイガー(現アシックス)と出会い、その品質と低価格を気に入り、1962年にオニツカのアメリカ販売権を取得したことから始まる。1964年、オレゴン大学の陸上コーチで、ジョギングをアメリカに紹介し、トラック競技とフィールド競技における独自のトレーニングプログラムを作り上げたビル・バウワーマンと共同でナイキの前身であるブルーリボンスポーツ(BRS)社を設立。「アメリカでスポーツシューズ業界を支配していたドイツのブランド(プーマとアディダス)を退け、安くて機能性の高いシューズを展開したい」という思いを持ち、日本からオニツカタイガーのランニングシューズを輸入してアメリカ国内で販売を開始する。次第に輸入販売だけでなく、自らデザインし、生産から販売まで行うことを考えはじめ、1972年に「NIKE」が誕生した。ハイテクスニーカーの火付け役ともいわれるナイキのスニーカーは、ワッフルソール、AIR、Lunarlionなどの最先端技術を使用することで、安定したグリップとクッションシステムを生み出した。現在もイノベーションを意識した商品展開を続け、世界のトップを走るスポーツ&フィットネスカンパニーに成長。ニューヨーク証券取引所に上場している。
ナイキ(NIKE)について
ナイキ (NIKE) は、アメリカ合衆国オレゴン州に本社を置く、スニーカーやスポーツウェアなどスポーツ関連商品を扱う世界的企業で、社名の由来はギリシャ神話の勝利の女神「ニケ」(Nike)であると言われている。カリスマ性と伝説に残る競争心が特徴的な天才中距離ランナー、スティーブ・プリフォンテーンがナイキのシューズをミュンヘンオリンピックなど大きな大会で着用したことが大きなPR効果を生み出し、ナイキのランニングシューズの成功に大きな影響を与えた。1971年にコルテッツが発売されて以来、1984年マイケル・ジョーダンがNBAのシカゴ・ブルズへの入団をきっかけに彼の名をつけたシグニチャー・スニーカーシリーズの販売を開始した。それい伴い販売されたのが、1987年に販売されたエアジョーダンである。1995年に販売されたエアマックス95は社会現象になるほど世界中の若者やスポーツ選手を熱狂させた。