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ドイツ発!3本線がトレードマークの「アディダス」の始まりは兄弟げんかにあった!?

3本線がトレードマークのアディダスの起源は、ドイツの小さな町でした。
アディダスの歴史を見ていきましょう。

3本線がトレードマークのアディダスの起源は、ドイツの小さな町でした。
アディダスの歴史を見ていきましょう。

目次

オシャレ靴としても、競技用靴としても大人気のアディダス。
アディダス・プーマ・ナイキと、世界の3大スポーツブランドの1つとして認知されています。
今回は、アディダスの歴史を覗いてみましょう!

その歴史は1920年、ドイツ南部の小さな町からスタート

ダスラー兄弟製靴工場

ダスラー兄弟製靴工場

1920年、ドイツのニュルンベルクにて靴職人の息子として生まれた、アドルフ・ダスラーとルドルフ・ダスラーの2人が共同で資金を出し、靴製造の会社「ダスラー兄弟商会」を設立した事でスタートします。

営業に秀でた兄「ルドルフ」と、物作りが得意な弟「アドルフ」のコンビは絶妙。
それぞれのスポーツにあった靴を開発製造し、多くのアスリートからの支持を集めました。
最終的には、ダスラー製のシューズを着用したアスリート達が、7つの金メダルと5つの銅メダルを獲得し、2つの世界新記録と5つの大会記録を樹立。
こうして国際規模で、その名が知られるようになっていきました。

兄弟の亀裂。。大きな転機が訪れた1948年

町中の人を巻き込む程の喧嘩だったとか

町中の人を巻き込む程の喧嘩だったとか

弟のアドルフ・ダスラーは自身の相性である「アディ」と名字のダスラーから、「ダス」を採ってadidas【アディダス】というスニーカーブランドを発足させます。

第二次世界大戦後、会社の経営方針を巡って兄弟間で大喧嘩。
これをきっかけに1948年にダスラー兄弟商会は分裂してしまいました。
職人気質で無口な弟と、営業マンの兄とでは性格の不一致も問題だったのかも知れませんね。


3本線のトレードマークはこうして生まれた!

機能性を兼ね備えたオシャレな3本線

機能性を兼ね備えたオシャレな3本線

アディダスのシンボルといえるスリーストライプス(3本線)は、アディダスの創設者であるアディ・ダスラーによって1949年にロゴとして商標登録されました。
当時の革製のスポーツシューズは、履くうちに中足部が伸びてしまうため、それを3本のバンドで補強したのが始まりでした。その機能をデザインとしても表現するようになってから、「3本線の靴=アディダス」というイメージが浸透していった

オシャレな3本線はシューズ機能サポートの為に生まれたとは驚きですよね。
シンプルで一目で分かるデザインもまた、アディダスを浸透させる大きな要因になったのかも知れません。

まとめ

兄弟喧嘩を転機に誕生したアディダスは、多くのアスリート達に指示され、世界大会での記録を後押ししてきました。
スポーツシューズとしての機能は勿論のこと、3本線はファッション性も高く、オシャレ靴として取り入れられる事も多いですよね。
競技用としても、オシャレ靴としても楽しめるアディダス。今後も目が離せません。

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