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ブーツ愛用者第1号!?坂本竜馬と日本の近代化に貢献したグラバー商会の親密な関係<日本における靴の歴史>

ブーツを履いて立つ坂本竜馬。先進的であった竜馬は、長崎の貿易商グラバーとも親密な交際をしていました。二人の関係を探ってみました。

ブーツを履いて立つ坂本竜馬。先進的であった竜馬は、長崎の貿易商グラバーとも親密な交際をしていました。二人の関係を探ってみました。

目次

長崎の観光名所、旧グラバー邸。

その持ち主であったグラバーは、幕末の志士坂本竜馬とも懇意な関係にあったそうです。

その坂本竜馬は、当時まだまだ珍しかったブーツの愛用者だったとか。

そんなグラバーと坂本竜馬の親密な関係を追いました。

竜馬はブーツ好きだった!?

坂本竜馬

坂本竜馬

坂本竜馬がブーツを履いて立っている写真はよく見ますね。ここで履いているブーツは高杉晋作から譲り受けたものなのだとか。

また他にも竜馬が椅子に座っている写真がありますが、そこで履いているブーツは親密な交流があったグラバー商会のグラバーから貰ったものなのだそうです。

竜馬が履いていたブーツがあまりにボロボロで、見かねたグラバーが新しいのを渡したのだとか……。

グラバー商会と竜馬の関係

トーマス・グラバー

トーマス・グラバー

「海援隊」や「亀山社中」といった商社を竜馬が設立した背景には、グラバーの存在が影響していました。

二人は武器の調達という利害の一致から関係を深めていきました。

竜馬とグラバーは維新の導火線ともなり、その親密な交際は竜馬が暗殺される1867年まで続いたのです。

1870年に破産したグラバーのその後

グラバーが400mの距離を試運転させた蒸気機関車

グラバーが400mの距離を試運転させた蒸気機関車

明治に入ってすぐの1870年(明治3年)グラバー商会は倒産してしまいます。

その後グラバーは岩崎弥太郎が経営する三菱財閥の顧問となり東京に移ると、さまざまな先進的な技術を日本に伝えてくれました。

蒸気機関車、小菅修船所(ドック)の建設、近代的な採炭技術の導入など、日本の近代化に深く貢献したのです。

まとめ

このように長崎で出会った坂本竜馬とグラバーは貿易を通して交友を深め、日本の近代化の礎を築きました。

かたや竜馬は志半ばに若くして亡くなってしまいますが、その意志を継ぐようにグラバーは近代日本に不可欠なものを我が国に伝えてくれたのです。

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