明治時代の靴はこんなにもオシャレ!1870年頃の紳士淑女が履いていた靴とは!?

1870年(明治3年)日本初の靴工場が造られた年。上流階級の間で履かれていた靴はどんなものだったのでしょうか。

1870年(明治3年)日本初の靴工場が造られた年。上流階級の間で履かれていた靴はどんなものだったのでしょうか。

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西洋文化が入り、文明開化の世になると、上流階級の間では積極的に洋装が取り入れられ、それに伴い洋式の靴も輸入されました。

軍靴や皇族、華族の礼装は洋風と定められたため、洋式の靴はまず上流階級の人々の間で広まっていったのです。

では、彼らはどんな靴を履いていたのでしょうか。

それは今の時代にも通じるようなお洒落なものでした。

男性が履いていた靴

明治時代の男性はこのような靴を履いていました。

英国のヴィクトリア女王の夫アルバート王配殿下や、議会でも履かれていた靴です。

幕末に日本に入ってくると、「紳士用深ゴム靴」とか「紳士用礼装靴」と呼ばれ、別名「七つはぎ」と呼ばれたそうです。

女性が履いていた靴

女性はこんな編み上げ靴を履いていました

女性はこんな編み上げ靴を履いていました

明治時代の女性は、編み上げ靴やヒールのある靴を履いていました。

鹿鳴館などで着るような礼装の場合は絹で作られた靴を履いていました。

しかし庶民だけでなく、上流階級の女性もまた普段は圧倒的に和装が多く、草履を履いているのが一般的でした。

当初は上流階級の人しか履けなかった

『鹿鳴館の花』と言われた陸奥亮子

『鹿鳴館の花』と言われた陸奥亮子

当時輸入品であった靴はとても高価なものであり、上流階級の礼装や軍隊、一部の特殊な職業でしか履かれることはありませんでした。

靴が一般的に履かれるようになったのは西洋式の靴を作る工場ができ、国産の靴が市場に出回るようになってからのことです。

まとめ

当時のデザインは現在の私たちが見てもとてもお洒落。そのデザインは今でも引き継がれているものが多いですね。

女学生の定番スタイルであった袴に編み上げブーツスタイルは、今でも大学の卒業式などで着られています。

明治時代の紳士淑女は限られた商品の中でお洒落を楽しんでいたのでしょうね。

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