不朽の名作エア・ジョーダンの歴史
バスケットボールの神様と評されるマイケル・ジョーダンをモデルにしたこのシューズは、バスケットシューズのアイコンからストリートファッションのアイコンに至るまで、今も根強い人気があり不朽の名作となっています。
バスケットボール界に参入したかったNIKEが、「年間50万ドル(約5000万円)の5年契約」という当時は破格のオファーをマイケル・ジョーダンに提示。ジョーダンに課された条件は、「新人王獲得」「オールスター出場」「1試合20得点以上を平均」のいずれかを3年以内に達成することでした。ジョーダンはこの条件に合意し、正式にNIKEと契約。そしてAir Jordan1が誕生し、その歴史はスタートしました。
エア・ジョーダンのモデルとなった マイケル・ジョーダンの経歴
15年間に亘る選手生活で得点王10回、年間最多得点11回、平均得点は30.12点でNBA歴代1位、通算得点は32,292点で歴代4位です。
1990年代にシカゴ・ブルズを6度の優勝に導き、5度のシーズンMVP、6度のNBAファイナルMVPを受賞しています。また1984年のロサンゼルスオリンピックと、1992年のバルセロナオリンピックにおいてアメリカ代表として2度にわたり金メダルを獲得しています。
現役時代の背番号23はシカゴ・ブルズ、マイアミ・ヒート、ノースカロライナ大学の永久欠番となっており、2009年にはバスケットボール殿堂入りをする経歴の持ち主です。
エア・ジョーダンを巡る傷害事件などが発生
ジョーダンの人気はエア・ジョーダンの売れ行きにも繋がり、1990年に発売されたAir Jordan・で不動の人気を獲得しました。
ですが、人気と共にエア・ジョーダンを巡る事件が多発。強奪や傷害事件、営利目的の悪質な転売行為など社会問題も発生しました。
進化し続けるエア・ジョーダン
本人が引退した今でも開発が続けられているエア・ジョーダン。これからも世界中のマイケル・ジョーダンファン、そしてエア・ジョーダンファンを魅了し続けることは間違いありません。
次回新作が出るのはいつなのか。エア・ジョーダンの注目はまだまだ続きます。