今では当たり前のように日本中の人が履いている西洋の靴。
日本は元々着物や草履を履いていた文化だったのに、
どうして西洋の靴を履くようになって行ったのか?
1870年に創業された日本初の西洋式の靴工場をご紹介します。
日本の靴文化の中で洋式の靴が履かれるようになったのは、
江戸時代末期から明治時代の初期の頃です。
1870年、明治3年の3月15日、
東京築地に初めて近代的な靴の工場が誕生。
国内で靴の製造が始まりました。
この日は今でも「靴の記念日」になっています。
上の写真は日本初の西洋式の靴工場のもの。
当時の雰囲気が伝わってくる素敵な1枚ですよね。
日本で初めて靴を造った男、西村勝三
明治時代に入り、西洋式の軍服が主流となって行きますが、
そのクオリティは納得の行くものとは程遠いひどいものだったと言われています。
そこで質の良い西洋靴を作る為に、
兵学者であった大村益次郎が御用商人だった西村勝三に命令し、
国産靴工場を建てさせることにします。
これが日本で初めての靴工場となるのです。
初めてのことだらけだった西村の苦労は並大抵ではありませんでしたが、
着々と前に進め、いよいよ開業となった矢先・・・大村益次郎が命を落としてしまいます。
彼の発注で作った靴は引き取り手がなくなってしまい、
西村は途方に暮れそうになりました。
ところが同じ年の冬、御親兵頭から軍用靴4万足という大量発注が舞い込み、
工場はどんどん大きく発展して行くこととなるのです。
明治の工場の父
西村はその後、製靴業の祖としてその名を残しましたが、
実はそれ以上の大きな功績を残しています。
それは文明開化の象徴ともいうべき白煉瓦や硝子の製造。
1875年(明治8)に品川白煉瓦(現品川リフラクトリーズ)を設立し、
耐火レンガや赤レンガを製造。
有名な「東京駅の赤レンガ」の全量を納入したのも彼の功績です。
ドイツの技術を取り入れた洋式硝子工場では、
1888年(明治21)にビール瓶の大量生産に成功しています。
だから西村は「明治の工業の父」と呼ばれているんですよ。
まとめ
西村氏がすごいところは、
失敗から立ち上がり成功を勝ち取ったところです。
着物文化から脱皮して西洋の靴を作り上げた彼の功績は、
今の日本を支える素晴らしい偉業と言えるのではないでしょうか。
今自分たちが安価で靴を買えるようになったのも、
西村氏ががんばって下さったおかげですね。