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意外な歴史のこぼれ話。有名靴ブランド「リーガル」の設立にはあの幕末の偉人が関わっていた!?

私たちが今、当たり前のように履いている靴も、もともとは西洋からの渡来品。それまで日本人は草履や下駄を、外履として利用していました。
それでは日本において、一体いつから西洋の靴が普及し始めたのでしょうか?

その謎を解くカギは、明治時代初期のある実業家が握っています。

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目次

日本における洋式の靴の歴史を振り替えるとき、1870年、江戸から明治に入って間もない、日本近代化の黎明期にまで遡ります。

3月15日は「靴の記念日」!

今では当たり前のこの革靴も、かつてはハイカラ品だった。

3月15日が「靴の記念日」となったのはなぜか?

実はこの日、日本初の洋式靴の工場が誕生した、メモリアルデーなのです。

ちなみに紛らわしいですが、「靴の日」という日もあって、こちらは語呂から9月2日に制定されています。

大手靴メーカーのルーツをたどると…

リーガルコーポレーションという会社があります。

年間327億円 (2015年3月期)を売り上げる、日本が誇る大手靴メーカーですが、この企業こそ、先ほど記載した日本初の洋式靴工場「伊勢勝造靴場」の後の姿なのです。

設立の裏にある、大村益次郎の助言。

大村益次郎の肖像画。「火吹き達磨」の異名そのままの、独特の風貌!

「伊勢勝造靴場」の創設者は、旧千葉・佐倉藩藩士の西村勝三という人物。

藩の砲術助教を務めていた彼は、江戸時代に商店を開業。
その後、後の日本陸軍創始者となる長州藩の兵学者・大村益次郎の助言によって、軍の近代化を進める西洋式軍靴の製造に着手したのでした。

まとめ

軍用の靴をつくるところから転じて、近代的な革靴を製造する工場となった「伊勢勝造靴場」。

その後、依田西村組、桜組と名称を変えていき、明治35年には大倉組などと合併して、「日本製靴」として会社化。これがリーガルコーポレーションの前身となるのです。

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