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明治時代の欧化政策によって始まった洋装文化。日本人が洋式の靴を履くようになった、そのルーツとは?

私たち日本人が西欧のファッションを取り入れ、洋式の靴を履くようになったのは、いったいいつのころからなのか?

その謎を解き明かすために、歴史を辿ると明治時代初期にまでさかのぼります。
まだ、和装が庶民の主流で、洋装が上流階級の服装とされていた時代の話です。

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目次

明治時代初期。文明開化をしたとはいえ、庶民の服装は和服が中心。
洋装は上流階級のたしなみと見なされていました。

明治政府が推し進めた「欧化政策」

日本の欧化政策を皮肉った有名な風刺画。

明治政府が洋服を普及させようとしたのは、幕末に締結された不平等条約改正、特に外国人の治外法権撤廃のため。

しかし、自国民が、日本において数年前まで行われていた磔や打ち首といった残酷な刑罰に処されることを危惧した外交官たちは、頑なに改正交渉を拒否していたのです。

外国人の迎賓施設として「鹿鳴館」が誕生!

そこで、当時の外務大臣にあたる外務卿・井上馨(いのうえかおる)は、欧化政策を実施。
洋装の推奨もその一環であり、その象徴ともいえるのが、外国人への迎賓館として建設された「鹿鳴館」です。

華美なドレスと合わせて、着用していたのは「絹の靴」。

この装いで、夜ごとワルツのテンポをきざんでいた。

1883年11月28日、1200名を招待して落成の祝宴が催されてから、夜ごと舞踏会が開催されていたこの社交場。

“夜会服”と呼ばれるドレスを身にまとい、手には孔雀の扇。そして、足に履いていたのは、絹の靴でした。

まとめ

ワーグマン作「文明開化 下駄から靴へ」。当時の服装の変化を表している。

明治時代初期は、まだまだ高級品だった洋式の靴も、明治後期になると、一般の人でも購入できる品物になってきました。

写真のように和装に靴という、出で立ちも多かったようです。

急速な欧化政策に、不慣れながらも対応していく過去の人たちの姿に、西洋的なファッションを積極的に取り入れる、現代に生きる私たちのスタイルを垣間見ることができます。

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